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物想いに耽りて足を休め、愈々手切と相成り候間

【ネタバレ有】フリゲでデンシャやったんです

ネメさんが絶賛するからこれはやらねば。と思いまして、やったんですがまじでよかった。
感想をツイッターでは言ったが、結局ネタバレる部分を伏せるためにフラストレーションなのである。

よってここで発散しようと思います。
1,2時間くらいでできるます。
小麦畑⇒デンシャみたいな感じでぐぐってみてはいかがでしょう。

という宣伝はおいておいて。


以降バレます。
久々にプロット・ネーム以外でたくさん文字打ちました。






なんかブログの仕様変わってちゃんとつづきで分割されてっかな?
大丈夫?
まあいい。

普通の一人の人生をここまで端的に魅せることができるとは。
たしかに「舞台」であった。

世界のルールを知ることが前半の醍醐味とはまさに、ですね。
また作者さんが翻訳を基本的に断っているのも納得。
漫画とか小説とかとりあえず、日本語で構成されているものはやはり
その言語であること自体が既に要素・トリックとして大きい。
日本語のひらがな・カタカナ・漢字、更には英語までも組み込んでいること。
それらの意味や韻を全て踏まえていてこそ成立するなあと思わせる作品だもの。
似たようなことは他言語でもできるけど、アイコトバはまさに日本語のなせる技。

あと日本人もしくは日本の歴史を把握していないと、
プレイしている間にこみあげてくる色々複雑な感情は味わえそうにない気がする。
とりあえずほたるの墓とはだしのゲンくらいは見てからやるゲーム。

加えてある程度の経験が必要かも。
とりわけ葬式に参列したことがあって初めて痛感する。
想像にリアリティが加わるんですよね。実体験に勝る現実感はない。
たぶん、中学生の私なら演出に驚いても共感とかそういうのはしなかったであろう。
やー思い出したよじいちゃんの葬式。

細かい演出の感想も…。

これは時間を移動しているな?というのがうっすらわかるのが食堂車だと思う。
同じ景色で、過去と未来を暗示させるような従業員のコメントがさり気なくてうまい。

で、そっから謎の影が出てきて、どうやら人の記憶をたどる話?と納得する。
最初は複数人いるの?と思うが、個人的な誰かの記憶みたいだ。と感じるのが、
エピソードに繋がりを感じてから。花のあたり。
更にあれ(プレート)がその誰か人の年齢では?と思うに至るのは
人によるだろうけど、私は結婚式の時でした。
時間てきなものとは思っても年号かなと思ってた。

自力で迷ってみつけるのも醍醐味だとは思うんですが、
ゲームにそこまで時間をかけていられん…というもう年食ったなーな考えで、
一部攻略も頼りました。
21と12は理解してもそれが15と51まで含まれるとは。
頭固くなってましたね。

家でみつけた真珠が真珠湾もかけていたと思うけどどうだろうそこ?
最終的にそれが違う形で役に立った時は感動した。ここでかあ!と。

夏に対するこだわりが良かった。
夏休みあたりでおばあちゃんち、に行くことがあったんだろうな。
だから最初におばーちゃんち?っていう反応をしたんだろう。

戦争の回が鍵を二重にするほどの出来ごとってのも深い。
セカイが終わった日だから。でも悲観だけを伝えていないのがいい。
それでも生きて続いたからその先に喜びがある。
でも些細なことで後悔もある。だってそれが人生だもの。

色々考察をみたけど私も彼女の子供は娘説を取るな。
娘(孫からみた母)は彼女の病院にいて、父と息子呼んでいる話、な気がする。
孫が生まれて和解(?)したっていう感じ。あの時の彼女(ばあちゃん)の台詞が、
慈しみあるものだというのが本当に一番きた。
孫は目に入れてもかわいいである。

すごくどうでもいいけど1次創作の結果できあがったものが子供だと、
二次創作していただいたものは孫みたいなものなので、
やっぱりほんとすごくかわいいかわいい、ありがとう!
っていう気分になります。ほんと今この流れで出す話でもない。

なぜに孫だったんだ?っていう考察てかコメントを見かけたけど、
結局おばあちゃんというものは、孫に弱いんです。子供には言えないんです。
たぶんそういう感じだろ。と勝手に解釈している。

ばあちゃんの連絡受けて見舞い(容体が悪化しそう)だったんだな。
一応作品と世界の歴史を当てはめると時系列がなんとなく把握できるが、
詳細は割愛するとして、

62歳(1997)孫が生まれる
71歳(2006)サヨナラ

携帯電話はあったかな、ガラケーが。

と娘説を唱えるけど息子でもいいけどな。
ただ最後の「そうなのかなあ…」が仮に父が息子だとすると、
そのギリギリまで見舞いにいけなかった関係性を考える。
あえて伝えなかったのかもしれないし、
結局最後に孫が人生を辿るまで仲がどうだったの?ってなる。
で嫁はそれでどうなのっていう?(微妙に不仲ってのはリアルだけどドラマはないよな)

同じ家で暮らしているおばあちゃんではない=姑(旦那の母)じゃない感じから、
母方のおばあちゃんが有力じゃない?って思うのだが。
あと父の「そうなのかなあ…」が、嫁の母だとすると絶妙に響くなと思う。

こんな風に考察云々する奴がでるというのを踏まえて、
あえて息子でも娘でも取れるようにしている、と仮定することもまた粋である。
というか手腕に唸るポイントが加算される。

EDの少年の人生の中で縁側があって、あれがばあちゃんちなのかな?と思ったり、
蚊取り線香がいい具合に伏線なんだな。
伏線はどこもかしこもすごい。ていうか伏線出ないところがない。
「舞台」が「舞台」なだけに、フィールドに置いてあるものに一切の無駄がない。
作者さんも意図されていたけど余計なものがそぎ落とされていることの美しさ。
操作も↑↓→←とエンターだけ押さえておけばどうにかなります。

不思議空間の人体練成な感じはピンときますなー。
記憶に新しいのは確かにハガレンだけど、作者さんのいうようにドラえもんもやってた。
人間のはじまりはもおわりもほんとふしぎである。
魂ってなんだ?一人の生きた記憶はどこに帰結するのか?
結局燃えて灰になってしまうというのに。
とか哲学?倫理?になるから追求はやめよう。これはそういうゲームじゃねえ。

最後に、2Dグラフィックの郷愁さも1つの魅力でね。
で、音がいいんだ、音が。玉音放送使うとか反則です。2Dにリアルな音はやばい。
室内で流れているレトロな音もです。

つまり、たった1時間弱(映画1本)くらいだけど、
ここまでしゃべりたいくらいにはえぐられた!!ということです。結論。

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