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にわか底辺のナ.イツPです。投資額は大した額でもないし、考察もそこそこ二次的な動きもほとんどしてませんが、自分が今年ナ.イツ関連で何をしたかを、薄れていく記憶は当てにならないのでメモしておきます。それだけです。
【走ったイベ】
・ショコラフェス
・レオ誕※イベントじゃないけど
・チェックメイト
・フルールドリス(進行形)
【リアルイベ】
・2周年イベ
・ナイツLIVE※3rdCDを3枚積んだ
・ドリライ(予定)
【舞台】
・初日
・千秋前日
・大千秋ライビュ
【同人】
・ブ.リ.デ10
合間にステと中の人関連の舞台もチラホラ見に行った
何が言いたいかというと、半年くらいの間にそれが詰め込まれている。
ああなんてヲタクとしてアクティブなんだろうか!!
長文久々に打って興が乗ったので、
さっきまで見ていたFREEDOMの感想でもまとめておこうと思います。
もしかしたら、ログを辿ればウン年前にも語っている…のかもしれないが。
考察するほど情報の持ち合わせがないので考察ではありません。
見終わった熱が冷めず支部でFREEDOMって検索したら、
全然関係ない知らん絵ばっかりで、私が欲したFREEDOM火星編は
かけらもなかった(はず)ことへの憤りであり、
ないなら自分で描け!自給自足!ってほどでもないことへのフォロー、みたいな。
とりあえず間違って検索したら辿り着いて
且つ暇を持て余して読みだしては見たがFREEDOMとはなんぞやという方の為に
http://freedom-project.jp/
貼っておきます。
初めてCMにお披露目したの2006年らしいです。
こまけえことは省いても10年前ですね。しんどい。そんな前なのぉ?
4日程無為に過ごす期間(ちょっとした連休ともいう)が出来て、
うち2日は幾らか活動したが、残る2日は例によってニートとして過ごした。
自分でも、その2日の過ごし方は全く生産性がない、
あんスタのイベントをこなしては小説を読み、
合間に(散々見た)FREEDOMとダンロンを流し、
再び焼きそばパンとスポドリを消費しては小説を読み…と繰り返しただけで、
いい歳した(成人女性の)生活としては非情に干からびていた自覚はあるが、
その2日がなかったら今こうして脳みそがリセットされていないし、
たまにはちょっと記録も残しておこうかね?なんて発想にすら至らなかったのである。
精神の均衡を保つためには必要だった。まじで。
そんな仕様もない理屈はさておき、
「久しぶりに会う友人」とは時間の経過を感じさせない。
その感覚と同時に、相反して時間の経過をとても感じる。
これは自分自身の時間経過と通り過ぎていった人々を思い起こさせるためだ。
「通り過ぎた」とは抽象的で、具体的には「友人」が「知人」になってしまう状態、
自然と連絡を取らなくなった状態や意図的にシャットアウトしている場合を指す。
何にしてもどんな理由であれ、親しくあった存在と距離が空いてしまうのは寂しい。
しかし物理的な距離感や人生の節目などのタイミングも関係してくる。
楽しかった時間、所謂思い出フィルターは中々に強大だが、
寂しい気がしても特別なにをするでもない。なにせ「気がする」止まりなのだ。
だから、そのことに気付いた時、ああ通り過ぎてしまった…と感じる。
もちろん、通り過ぎただけで、嫌いになったとか忘れてしまった訳ではない。
何かのきっかけで再び道が近づくこともあればそれでよしとは思う。
そもそも通り過ぎてほしくない場合は、常に意識の片隅に存在があるのだ。
自分に何かあった時、例えば不慮の事故で亡くなるようなことがあった時
なんとかして連絡を取ってほしいし、その手段や繋がりは残しておく。
また、それはそれとして感情の機微も減ったなあと思う。
以前は、どんなに仲が良いと(一方的にでも)思っていても、
(たとえ家族でも)折り合いの付かないことはあるし全部受け止められる菩薩さはない。
私の器が極めて小さいとしても、無駄に諍いを生みたくはない。
日本人よろしく、本音はオブラートに包むことで安定した関係性を保つ。
…ことがフラストレーションになったとき、ぶち壊すようなアクティブさがあった。
だが最近は、何か思うところがあっても、
それでも別にいいと思って流す方向にシフトしている。
大人になったともいえるが、負の感情を抱えるのは疲れるので、
頭抱えて唸るくらいなら丸ごと切り捨てたいと思ってしまう。
単にめんどうくさいだけでもある。
そう、めんどうくさいのだ。
めんどうくさいが極まると人間関係のシャッターが降りる。
携帯のアドレス帳から連絡先を消すように。
昔、地味にガールスカウトに所属していたのだが
そこで覚えた曲に
新しい友をつくろう 古い友も忘れず
新しい友は白銀(しろがね) 古い友は黄金(こがね)ぞ
というのがあって30秒くらいで終わってしまうんだけど、
割といい曲だなあとたまに思い出す。というか耳に残っている。
新しい友を作ろう的な前向きな若さが減少しつつあるので、
それでは世界を狭めていくだけだと思うから、この視点は忘れずにいたい。
少しイイ話ダナーで無駄に長い独り言を締めます。
どうでもいいけど市川実日子さんは大友克洋作画っぽい雰囲気がある。
と思っていたら、支部でそんな絵を見つけて感動した。
当ブログは、管理者個人の過去数年における妄想と愚痴と備忘録だけで成立しています。
今更取ってつけたabout。
1つ前でツイッターで感想うざくない?的なことを言ってますが、
そうブログならいいんです。なにせ己のためなのだから。
出不精な私ですが、去年位からおよそ月1で映画を見に行く機会があり、
折角金払って見てきたのだから140字で
「なんかすごかった!」だの「あのシーンは良かった!」だの
つぶやいて終わりにしているのはなんだか勿体ない。
まして、そういえばあの映画見てどう感じたんだっけ?を辿るのに
ツイッターのログを只管漁るなんて実に不毛。
ゆえにブログをね、活用すべきだと思いました。
なんだこの頭悪い文章。
全然語彙力リハビリできてないな。(大阪城はまだ8階だよ!)
はい、ということで続きからは、最近?公開されたレヴェナントの感想です!
最近になって感じるのは、ツイッターで何かの感想や考察をするのは憚られる感じがある。
あくまで自分が書く側ならですけれど。
1回140字で伝えられることにはどうしたって限界があって、
ツイッターの長所は即効性と拡散力で簡単にいうなら「リアルタイムの情報」。
弊害でありこれも長所の1つだけど膨大な量のとりとめもないレベルのものであふれる。
リアルタイムって本当勢いであったり、その瞬間の感情に寄り添いがちなのが問題。
ツイッターがここまで公的になると思ってなくて、
身内の短い近況報告ツールの延長だと思っていたら今やそうでもない気がしてですね。
つまり何がいいたいと言うと、先日ツイッターで出回っていた映画の感想を言ったり言わなかったりで作品が楽しめないだのどうこうとか…本当にめんどうくさいもんが流れてきたなと。
何がどうめんどうくさいか突き詰めたくないが、
理由はどうあれ自分の視界にそんな情報が入ってきたことが
めんどうくさい。
うるせー!好きにさせろ!
ちょっと雑な締めになったのは、これを書きつつイベントをこなしつつ大阪城(5階)を掘っているせいです。私のインテルでは3タスクが限界です。
結局審に書きたい事はできなかったので次に回す。
ただの雨だと思ったでしょ?思ったでしょ?
と言いながらとてつもない暴風と豪雨を
帰宅ラッシュ時間を超えてから巻き起こしてくれた6人目の台風。
まじ絶許。
おかげでよお、ブーツとダウンとスカートが壊滅的ダメージだろうがよお。
残業でまた残業で、ほんとなんなのかしらね?
社畜とかいう単語生み出したやつでてこいよ。
あー虹村さんが足りない。
ソルキチの布教活動しか最近してないっすまじで。
まだ2巻しか出ていないソルキチですが私は9冊買いました。
誤買いではありません。
ステマと読んでくれて構わない。
10年に1度のキセキの台風だった訳です。
キセキの世代的にはまだあと4回くらい来るかもしれない。
だが次が10年後だとしたら、
10年前どんな思いでその台風を味わったのか?と思う時が来るかもしれない。
ので。(ミカサ的に)
2013年10月16日~ある台風の日の通勤~をいかに過ごしたかを記録しておこうと思います。
正直私以外どうでもいいし、私もどうでもいい。
無駄に長いためつづきにまとめておきます。